先日、新作として発売開始と相成りましたトランク(TR-1)ですが、実はヘルツのトランクはヘルツの鞄の中でも、一番歴史があると言ってもいいくらい、古くから様々な作り手が取り組んできました。
ヘルツのトランク制作は、創業者:近藤が駆け出しのころに作り始めたのをきっかけに、長い歴史がスタートしました。
HERZ本店には、当時制作したトランクがディスプレイとして飾ってあります。
しかし・・・作っては失敗の繰り返し。
一度は完成したけど、つくりに気になるところがあったり、パーツが安定して手に入らなかったり。
そもそも作るのがとても大変だったり。
と、なかなかうまくいかず、埋もれてしまっていたのです。
そんなヘルツトランクの歴史を、創業者:近藤や、トランク作りにより深く携わった作り手に聞いた話を元に、辿ってみたいと思います。
今回は創業者:近藤のお話。
ヘルツを立ち上げて2年目、近藤がトランクを作り始める
今からおよそ47年前のこと。
「あのころ、骨董品が流行ってたんだよね。骨董ブームっていうのかな。それでトランクも流行っててね。僕も20代だったからすぐにそういうブームに飛びついて、作ってみよう!と。それがきっかけ。」
トランクを作り始めたきっかけを聞くと、
「何だろうなぁ…そんな大した理由はないんだよね。鞄も全然売れなくて、暇だったからね。」
と、笑いながら言いつつも、当時のことをお話してくれました。
ヘルツ2年目にして、近藤は初めてのミシンを手に入れます。まだまだ駆け出しの時代。
上画像:当時、近藤が購入したトランクたち。歴史を感じます。
トランクをつくるにあたってはかなり苦労をしたそうです。
「トランクを作るのはかなり時間をかけたなぁ。写真を見たり、売っているところに行って見てみたり、実際に自分でトランクを蚤の市で買ってきて、へぇ〜とか言いながら構造とか調べたりね。」
試行錯誤を重ね、ようやくできたトランク。
その当時、世に出回っているトランクは厚紙を芯材にしているものが多く、近藤もそれを真似て作ってみたそうです。
「ようやくできた!って、目立つようにお店の外に出していたんだけど、当時作ったトランクは結構いい加減で、革の切り口が見えててさ。雨に降られてそこから水が染み込んで、ブヨブヨになっちゃった。」
「じゃあ芯材をベニヤ板にしたらどうだろう?って、ベニヤ板を買ってみたはいいものの、どうやって曲げるかも分からないし…カッターか何かで切り口入れて曲げたりしてみたけど、ある程度の厚みがないとパキッて割れちゃうし…みたいな試行錯誤を繰り返したね。」
普通じゃないトランクを作ろう
そんな苦労を重ねてようやく形になり始めた頃、「普通のトランクじゃ面白くない!」と思い立ち、様々なサイズ、形を試してみたそう。
「横長だったり、正方形だったり。当時はレコードが主流の時代だったから、レコード入れとか言って、35cm四方のトランクを作ってみたこともあったよ。」
(上画像:現在も精力的に制作を続ける近藤。さすがにトランクは作っていませんが、鞄とはまた一味違う「椅子」を作っているところでした。)
「なぜ、普通じゃないものを作りたかったかっていうと、『こんなトランク見たことない!』みたいな…見る人をビックリさせるっていうのを狙っていたんだ。」
「それが功を奏したのか、レコード入れとして売ってた35cm四方のトランクは、今でも活躍している歌手の人が『いいねぇ』って買ってくれたんだ。僕は芸能人とかに疎くて、そのときは分からなかったけど、後から当時のスタッフに聞いてね。嬉しかったね。」
トランク作り、一旦ストップ
その後、ヘルツの鞄を取り扱ってくれるお店を見つけては、鞄と一緒にトランクも出し、販売と製作を続けていました。
しかし、少しずつトランク以外の鞄が売れるようになると、その製作に追われトランクはその製作の大変さから、だんだんと作る機会が減っていき・・・
「トランクは作るのが大変でね。他の鞄が売れるようになって、そっちを作ることに集中していたんだけど、そうなると手を付けられなくなって、自然消滅的にトランクは作らなくなっちゃったんだ。」
というわけで、近藤のトランク作りはストップしてしまいます。
「完成させたい」という思いを抱えたまま・・・時は流れます。